信じられない。
どう考えても常識では説明できない。
それでも、目の前で起きていることは紛れもない“現実”だった。
自分の中で整理がつかないまま、俺はそっと茂みから抜け出した。
誰もいない細い路地。
夜明け前の薄い光が冷たく路面を照らしている。
「……もう一度、走ってみるか」
恐怖よりも、確かめたい気持ちが勝った。
ゆっくりと地面を蹴る。
次の瞬間──景色が伸びた。
「速い……!」
風が体に絡みつく。
地面が滑るように後ろへ流れていく。
まるで地面との摩擦が消えたみたいに、スムーズに加速する。
路地の角に段差がある。
普通の人間なら一度減速するところだが、体が自然に跳んだ。
ひょい。
それだけで段差を軽々と飛び越えた。
体は驚くほど軽く、着地の衝撃もほとんどない。
「これ……本当に俺か?」
さらに狭いフェンスの隙間に目をやる。
どう見ても人ひとり通れない。
だが、試しに肩をすぼめて進んでみる。
──スルッ。
何の抵抗もなく抜けられた。
体が細くしなるように動く。
まさに、猫の柔らかさそのものだった。
確信が、心の奥のほうから静かに湧き上がる。
「やっぱり……猫になったんだな、俺」
今朝まで普通のサラリーマンだった。
毎日同じ電車、同じデスクワーク。
変わらない日常が、この先も続いていくと思っていた。
なのに──今、俺は塀を飛び越え、狭い隙間を抜け、信じられないスピードで駆け回っている。
正気で考えれば絶望する状況なのかもしれない。
元の体に戻れる保証なんてない。
それでも。
胸の奥に小さな高揚感があった。
未知の世界にふれるような、言葉にできないワクワクが、確かにそこにあった。
