第2話 「地図」

箱の中には、銀色の鍵ともう一枚、折り畳まれた紙が入っていた。

広げてみると、手描きのような地図だった。

赤い線でぐるぐると囲まれた印があり、その下には読めないほどかすれた文字。

「……まさか、宝の地図とか?」

思わず笑ってしまった。

明確な地名は書かれていない。

だが、高速道路らしき線が交差している部分を見ると、ここから車で二時間ほどの山の中のように思える。

それにしても、どうしてこんなものが?

自分の過去の記憶を探っても、こんな地図に心当たりはない。

しばらく考え込んでいると、ふと一つの記憶が浮かんだ。

──親が亡くなったとき、遺品と一緒に渡された段ボール箱。

書類や古い通帳が入っていて、重いからとりあえず押し入れにしまった。

その中に、確かこの箱もあったような気がする。

「ってことは、親のものか……?」

思わず呟き、もう一度地図を見つめる。

宝物が本当にあるのかは分からない。

だが、妙に気になって仕方がなかった。

明日は休み。やることもない。

「……ちょっと見に行ってみるか。」

そう呟いて、スマホのマップアプリを開いた。

地図の形を照らし合わせると、場所は確かに山の中。

車で近くまで行っても、最後は歩く必要がありそうだった。

2時間の運転に加え、山道を30分ほど歩く。

考えただけで面倒くさくなってきた。

「いや、やっぱりやめよう。」

地図を畳み、再び箱に戻した。

ただ、その夜。

布団に入っても、頭の片隅で赤い印がちらついて離れなかった。

まるで呼ばれているような、不思議な感覚だった。

第1話 「同じ朝」

俺はどこにでもいるサラリーマン。

毎日同じ電車に乗り、毎日同じ職場で同じ顔に挨拶。

昨日も今日も、きっと明日も変わらない。

子供の頃は毎日が楽しかったのに、いつからこんな生活になったのだろう。

まだ人生は50年くらいあるだろうか。

半分が過ぎた今、残りを考えると気が遠くなる。

お金があるわけでもないし、妻や子供がいるわけでもない。

友達もいない。

定年後、何をして過ごせばいいのか──考えるだけで胸が重くなる。

明日は久しぶりの休み。

特に予定もない。

せめて部屋の不用品でも片付けよう。

そう決めて、コンビニ弁当を食べ、テレビを眺めながら眠りに落ちた。

翌朝、遅い朝日がカーテン越しに差し込む。

目を覚ましても、起き上がる気力が湧かない。

しばらくぼんやり天井を見つめた後、ようやく体を起こす。

「捨てるか……」

呟いて、重い腰を上げた。

押し入れの奥や引き出しの中。

何年も触っていないものが山ほど出てくる。

もう使わないケーブル、壊れた時計、古い封筒。

それを一つひとつ分けながら、無意識に手が止まった。

引き出しの一番奥、何かの影が見えた。

指先で掴んで引き出すと、薄い黒い箱が出てきた。

見覚えがない。

「こんなの、あったか……?」

手のひらに収まるほどの小さな箱。

埃を払い、ゆっくりと蓋を開ける。

中には──銀色の鍵が一つ、入っていた。

どこの鍵なのか分からない。

ただ、妙に冷たくて、重く感じた。

胸の奥で何かがざわついた。

心当たりのない“鍵”を見つけた瞬間、部屋の空気が少しだけ変わった気がした。

【第六話】 終焉のグラフ

店長の言葉が耳の奥で何度も反響していた。

「探している」──その一言が心臓を握り潰すように響く。

俺は恐怖を隠すように帽子を深くかぶり、顔を伏せて店を後にした。

外の風が妙に冷たく感じた。

駅まで早足で歩き、何本か見送ったあと、ちょうど来た電車に飛び乗る。

車内では落ち着かず、つい周りを見回してしまう。

逆に怪しまれるかもしれないと思って、じっと前を見つめる。

だが、やっぱり視線が気になってキョロキョロしてしまう。

――明らかに挙動不審だった。

それでも何とか家に着いた。

鍵を二重にかけ、窓の施錠も確認する。

もうしばらく外には出ない──そう心に決めた。

何事もなく二日が過ぎた。

緊張のせいで食欲もなく、口にしたのは水だけだった。

三日目の朝、ようやく空腹に耐えかねてデリバリーを頼むことにした。

インターホンが鳴り、モニターを見た瞬間、心臓が止まった。

──奴らだった。

扉を開けた途端、強引に押し込まれ、ナイフの銀色が光る。

「やっと見つけたよ」

あの時と同じ声。だが、今度は笑っていなかった。

「俺らを舐めたことを後悔させてやる」

冷たい言葉が耳に突き刺さる。

俺は必死に説得した。「もう一度教える、一緒にやろう」と。

だが、奴らの目はもう人間のそれではなかった。

俺は観念した。

時間が止まるような感覚の中で、人生を振り返る。

スロットに出会わなければ――

あんなグラフの癖なんて、見つけなければ――

最後に頭をよぎったのは、いつも見ていた出玉グラフだった。

右肩上がりのその線は、まるで俺の運命そのもののように、

頂点から真っ逆さまに落ちていった。

【第五話】 見えない追跡者

引っ越してからしばらく、俺はホールに足を踏み入れなかった。

視線に晒されるような過去の記憶が胸の奥をざわつかせる。店の明かりを見るたび、あの二人の顔がちらついた。

一週間が過ぎ、試しに一度だけと打ってみた。

得意なAタイプのパターンに沿って打つと、台はいつものように応えた。まだ使える。少額を積み重ね、派手な勝ちを避けながらホールを散らすように立ち回る。目立たないことを最優先に、日常が戻る感覚に少し安堵した。

だが、心のどこかで昔の街とあの二人のことが気になり始める。俺は変装をして、確かめに行くことにした。店長に密告したのだから、出入り禁止になっているはずだ。もしかすると、もうこの街にはいないかもしれない。

恐る恐る懐かしいホールの入口を覗くと、外見は何も変わっていなかった。中にも特に不審な様子はない。ほっとしていると、背後から声がした。あの時、写真を見せた店長だ。俺が変装を解く前に気づき、驚いた顔で近づくと、急に腕を掴まれ裏手へと引かれた。

裏に入ると店長は静かに言った。

「生きててくれて良かった。」

理由を問うと、店長の表情が固くなった。密告した二人は日本人ではなく、裏社会の有力者と繋がっていたらしい。出入り禁止にしたものの、特に咎められることもなく店側は抑えられている。しかも――

「お前を相当恨んで、今も探しているよ」と店長は低く囁いた。

その言葉が胸に沈み、背筋が凍る。

灯りの奥で、ホールのざわめきが遠く聞こえた。

俺は初めて、逃げた先にも追跡者の影が伸びていることを知った。

【第四話】 別れの予感

俺たちは、いつのまにか「仲間」と呼ばれる関係になっていた。

一緒にホールを回り、同じグラフを見て台を選ぶ。だが、勝った金はそれぞれのもの。そこにルールはない。

問題はすぐに起きた。

同じパターンを追う以上、狙う台がかぶる。先に座った者が勝ち、遅れた者はただ見ているだけ。

そのうち、互いに牽制し合うようになり、台の取り合いが始まった。肩をぶつけ、罵声が飛び、ついには店員が止めに入ることもあった。

「なんでそんなにこの台にこだわるんですか?」

店員の目が、少しずつ俺たちに向けられ始める。

数時間後、その“揉めた台”が爆発的に出すのだから、無理もなかった。

あの二人は気づいていないようだったが、店員の視線は日に日に鋭くなっていた。

俺は悟った。

――もう長くは続かない。

この街から離れよう。そう決めたのは、ほんの気まぐれだったのかもしれない。

だが、どこかで終わりを感じていたのは確かだった。

引っ越しの前日、俺は最後に近所のホールへ向かった。

そして、フロントで店長を呼び出し、スマホの画面を見せた。

そこには、例の二人が出玉を積み上げ、笑っている写真が並んでいた。

「自分も一時期は一緒にいましたが、もう引っ越します。

 二度とこの辺りでは打ちません。」

店長は眉をひそめ、そして静かに頷いた。

「ありがとう、助かります。」

その言葉を聞いたとき、胸の奥が妙に軽くなった。

夜風が顔を撫でる。ネオンの光が遠ざかっていく。

俺は誰にも知られず、街を後にした。

――また、ゼロから始めればいい。

そう思いながら、背後のホールが小さく消えていくのを見つめていた。