第4話 飛び掛かる瞬間

犯人がトイレのドアを開けた。

その瞬間、時間が止まったように感じた。

俺たちは目で合図を送り、一斉に立ち上がる。

「今だっ!」

全員で飛び掛かった。

銃声が響く。頬をかすめる熱。

だが止まらない。

力自慢の男が後ろから羽交い締めにし、俺は渾身のボディブローを叩き込んだ。

鈍い音。犯人が呻き声を上げ、銃が転がる。

「押さえろ! 腕を!」

誰かが叫び、全員で抑え込む。

暴れる腕を捻じ伏せ、関節を決める。

骨の軋む音が聞こえた。

「うっ……あああ!」

叫び声が響き、やがて静寂が戻った。

機内は泣き声と嗚咽で満たされる。

俺は床にへたり込み、汗と涙で顔がぐちゃぐちゃだった。

CAが無線で操縦室に叫ぶ。

「犯人、確保!」

その瞬間、全員の体から一気に力が抜けた。

第3話 決意

時間の感覚が消えていた。

誰も動かず、誰も声を出さない。

だが、俺の中で何かが変わった。

怖い。でも、このまま終わるのはもっと怖い。

俺は青年に声をかけた。

「どうせ死ぬなら、戦ってみないか。」

反応はない。

だが、その言葉が自分を奮い立たせた。

さらに奥のサラリーマンに視線を送る。

目が合った。わずかに頷いた。

その頷きだけで、少しだけ空気が変わった。

俺は静かに立ち上がり、近くの男たちに声をかけていく。

六人。恐怖に震えながらも、誰も「嫌だ」とは言わなかった。

「次にあいつがこっちに来たら、全員でかかる。」

その作戦を共有し、息を殺して待つ。

犯人は操縦室のドアを蹴っていたが、諦めたように戻ってきた。

CAをもう一度人質に取ろうとして、通路を歩いてくる。

距離が縮まる。呼吸の音すら聞こえる。

俺たちは目を合わせた。

今だ――。

第2話 崩れる心音

CAが犯人に引きずられ、操縦室のドアの前に立たされた。

「開けろ! 今すぐだ!」

ドアを叩く鈍い音が響く。

俺はただ震えながら見ていた。

その瞬間、乾いた銃声。

CAの体が崩れ落ちた。

悲鳴、嗚咽、混乱。誰かが吐いた。

銃口の煙が薄く揺れ、焦げた薬莢の匂いが鼻を刺す。

冷や汗が背中を伝い、頭の中が真っ白になる。

「死ぬのか……ここで?」

その言葉が脳内でこだまする。

窓の外では、太陽が静かに光っていた。

あまりにも平和で、現実とのギャップが狂気じみている。

犯人はまだ操縦室には入れていない。だが、時間の問題だ。

誰も立ち上がらない。

死の気配が機内全体に広がっていく。

隣の席の青年が小さく泣いているのが見えた。

俺は無意識に口を開いた。

「……このままじゃ全員死ぬぞ。」

心臓の鼓動が、死のカウントダウンのように鳴り続けていた。

✈️短編小説『ハイジャック』

第1話 静寂を裂く声

離陸から二十分ほど経ったころだった。

機内はまだ朝の眠気が漂っていた。紙コップのコーヒーを飲みながら、俺はぼんやりと雲を眺めていた。

その時、突然、後方から甲高い声が響いた。

「全員動くな! この飛行機は東京都庁に突っ込む!」

一瞬、冗談かと思った。だが、目に飛び込んできた黒い金属の光が現実を突きつけた。――銃だ。

男は30代後半くらい。顔は汗に濡れ、目が異常に光っている。

CAの腕を乱暴に掴み、銃口をこめかみに押し当てた。

「抵抗したら撃つ!」

悲鳴が弾けた。客席は一瞬で地獄のような静寂に包まれる。

誰も息をしていない。

男は操縦室の方へ進み、CAを引きずっていく。

足が動かない。誰も立ち上がらない。まるで全員が凍りついた像のようだった。

子どもの泣き声が響き、誰かが「やめてくれ」と小さくつぶやく。

だが、何も変わらない。

男は振り返り、銃口を向けてきた。

「静かにしていろ! 全員、死にたくなければな!」

その言葉でようやく理解した。

これは映画じゃない。――現実のハイジャックだ。

横断歩道の向こう側5

幹部として頂点に立った俺の世界は、光と影が入り混じる帝国だった。金は手に入り、人は動き、警察も政治家も俺の手の中で踊る。だが、そのすべては幻だった。

ある夜、おじいちゃんからの電話。穏やかな声で、全ての計画の暴露を告げられた。組織内の証拠、仲間の裏切り、俺が手にした金の行方――すべて俺を罠に嵌めるための仕組みだったのだ。

震える手で札束を握りしめる。警察の車両のサイレンが遠くで聞こえる。

「君はよくやった。しかし、若い芽は早く摘む」

その声に、長年信じた忠誠も誇りも、静かに砕かれる音がした。

目の前の光景が、夢か現実か区別がつかない。

俺の手で命じた仕事、逮捕された下っ端たちの顔――すべてが俺を見下ろしているように感じた。

街は生々しく、冷たく、そして静かに俺を飲み込もうとしていた。

闇の頂点から落ちる感覚は、風のない夜に落ちる石のように重い。

手を伸ばせば、まだ何かを掴める気がするのに、指先は空を切る。

この世の底で、俺は初めて、孤独と絶望をリアルに知った。

横断歩道の向こう側4

夜の街を一人で歩きながら、俺は考えていた。

ここまでの成功は、果たして俺自身の力なのか。それとも、あの老人の計算された導きなのか。

約束の場所で待つおじいちゃんと再会した瞬間、全てがわかった。

「君、順調だね」と微笑む彼の瞳には冷たい光が宿っていた。

彼の正体は、裏社会の創設者の一人であり、組織の“粛清役”。俺は気づかぬうちに、彼の駒として利用されていたのだ。

会議室に並ぶ金と書類、そして動かされる人間たち――全てが緻密に計算された舞台。

おじいちゃんの微笑は、ただの祝福ではなく、俺の忠誠心と行動を試すためのものだった。

胸の奥で、かつての良心がわずかに痛む。だが、手元の札束と権力の匂いに、理性は静かに押し潰されていく。

「君に任せる。だが、裏切れば即座に消す」と告げられた瞬間、世界の重さが違った。

俺は理解した――ここから逃げることはできない。

そして、気づいた時には、既に裏切りの予感は現実の影となって、背後から迫っていた。

横断歩道歩道の向こう側3

おじいちゃんからの「次」は桁が違った。

相手は警察の一部と癒着する政治家、そして官僚の影が見える大口の案件。国を揺るがすほどの金が動くと聞かされ、胸の鼓動は血に似た熱さで満ちた。

初めて足を踏み入れた夜、会議室には札束とパスポート、大きな権力者の名刺が散らばっていた。俺は指示を出し、駒を動かし、嘘をつくことを学んだ。取引は巧妙で、表向きは公益、裏では丸ごと奪い取るシステムだ。

逮捕されるのはいつも下っ端だけ。責任の線引きは完璧に作られている。だから俺はだんだん思い上がった。誰も本気で俺に背を向けられない。必要なら、この国の片隅から人間を消すことだってできる――そんな幻想が芽生えた。

だが会議の後、おじいちゃんは静かに笑い、言った。「次は大きく動く。君の働きを試す時だよ」

その言葉を聞いた瞬間、胸の奥で小さな不協和音が鳴った。勝利の予感と、知らぬ間に組まれた罠の匂いが同時に迫ってきていた。

横断歩道の向こう側2

最初の仕事は、ただ封筒を届けるだけだった。

報酬は五万円。何を運んでいるかも知らないまま、俺は震える手でそれを差し出した。

後になって、それがドラッグの運びだったと知る。吐き気がした。でも、口座に振り込まれた金を見た瞬間、胸の奥がざらつくように熱くなった。

気づけば、次の仕事を自分から求めていた。

夜ごとスマホに届く暗号のような指示。最初は怯え、次第に慣れ、やがて何も感じなくなっていった。

半年後、俺は“組織の人間”になっていた。

指示を出す側になり、金も女も手に入れた。あれほど惨めだったフリーターの自分が、今では人を動かす。

罪悪感なんて、もう思い出せない。

ただ、時々ニュースで逮捕者の名前を見る。

皆、新入りの若い連中だ。俺が命令した“仕事”の実行役。

胸が少しだけざわつくが、もう戻れない。

鏡の中の自分を見て、ふと思った。

――俺はいつから“こういう人間”になった?

スマホが震えた。

表示された名前は、あの“おじいちゃん”。

「次の仕事がある。君ならできる」

俺は、ためらいもなく返信した。

「分かりました」

その時、足元の闇が、静かに笑った気がした。

横断歩道の向こう側

30歳、フリーター。朝も夜も、コンビニのレジに立ち、弁当を温めるだけの毎日。

時計の針は確かに進むのに、俺の人生は止まったままだった。何をしても満たされず、誰からも必要とされない。そんな自分が嫌で、でも抜け出す力もない。

ある夜のバイト帰り、信号待ちをしていると、青になっても動かないおじいちゃんがいた。周りの車がクラクションを鳴らし、焦るように彼の腕を取った。

「渡りましょう」

そう言って一緒に歩き出した瞬間、おじいちゃんは微笑んだ。

「ありがとう。君みたいな若い子でも、まだ優しさがあるんだね」

別れ際、なぜかおじいちゃんは俺の連絡先を聞いてきた。戸惑いながらも教えた。もしかしたらお礼があるかもしれない。そんな淡い期待を抱いたが、数ヶ月が経っても何の音沙汰もなかった。

その日、久しぶりにLINEの通知が鳴った。

“君、まだ現状に満足していないだろう? 少し危ないが、確実に人生を変える仕事がある。”

画面を見つめながら、心臓が高鳴った。

これは間違いだ。関わってはいけない。

――そう思う理性の声を、俺は自分で押し殺した。

どうせこのまま生きても、何も変わらない。

だったら、一度くらい賭けてみてもいいじゃないか。

「やります」

そう返信した指先が、震えていた。

俺の人生は、その瞬間、横断歩道の向こう側へと踏み出した。

短編小説2

俺は30歳の、ごく普通のサラリーマン。いつものように地下鉄に揺られていた。満員電車の中、スマホの画面をぼんやり見つめていると、突然、轟音とともに車体が浮き上がった。次の瞬間、視界が真っ白になり、俺は床に叩きつけられた。耳鳴りと鉄の軋む音。鼻を突く焦げ臭さ。気がつくと、電車は横倒しになり、周囲には血を流した乗客たちがうめいていた。

息を整え、俺は割れた窓から必死に這い出した。煙が立ちこめ、出口の表示も見えない。どこを探しても通路は塞がれている。焦燥に駆られながら先頭車両へ進むと、黒い服を着た二人組が立っていた。手には焦げ跡の残るリュック。声を潜め、何かを確認している。――こいつらが、爆破の犯人か。

心臓の鼓動が耳の奥で鳴る。息を殺して身を潜め、奴らの後を追う。彼らは非常口から外へ出ると、血のついた顔でわざとらしく倒れ込み、救助隊の手を借りて被害者の列へ紛れた。

確証はない。だが、このまま逃がすわけにはいかない。俺は救助隊員に近づき、耳元で小さく囁いた。

「先頭車両にいたあの二人、爆発の直後に動いてました。警戒したほうがいいです。」

警察が静かに動いた。数分後、二人は拘束された。報道では「冷静な通報者の協力により犯人逮捕」とだけ流れた。俺の名は出なかったが、それでいい。あの日、偶然生き残った理由を、ようやく少しだけ理解した気がした。