第7話 「現金の夜明け」

家に着くと、まだ周囲は真っ暗だった。

“暗くてよかった”という言葉が、これほどしっくりくるのは初めてだった。

泥だらけのスーツケースを車から下ろし、足早に玄関へ向かう。

誰かに見られているような気がして、振り返るたびに心臓が跳ねる。

自分では冷静を装っているつもりだが、その動きはどう見ても不審者だっただろう。

部屋に入り、段ボールを広げてスーツケースを上に置く。

土がポロポロと床に落ちる。

しばらく呼吸を整えてから、再び鍵を回した。

ガチャリ。

中には、昨日と同じようにぎっしりと現金が詰まっている。

「……本物、だよな?」

札束を一枚取り出して光にかざす。手触りも質感も、本物にしか思えない。

「親父……何でこんな金、持ってたんだ?」

頭の中を疑問が渦巻く。

これがもし“悪い金”だったら?

あるいは……自分が知らない何かを、親はしていたのか?

気づけば外は薄明るくなっていた。

時計を見ると、もう朝だった。

一晩中、札束を前に考え込んでいたらしい。

「……少しだけ、使ってみるか」

口の中がカラカラに乾いていた。

震える手で一枚の札を取り、財布に入れる。

胸の鼓動が速まる。

——ビビりながらも、試してみることを決意した。

第6話 「闇の中の報酬」

掘り出した鞄を外に出し、土を払う。

静かな闇の中、ザッ、ザッという音だけがやけに響いた。

一通り土を落とし終え、鍵穴を覗く。中にも土が詰まっていたので、指で丁寧にかき出す。

鍵を差し込む。

カチリ。思ったよりもあっさり回った。

「……開いた」

ガチャという音とともに、蓋がゆっくりと持ち上がる。

中にはビニール袋に入った札束がぎっしりと詰まっていた。

一瞬で息が詰まる。

「……現金、か?」

スーツケースの中は、まるで地層のように積み上がった金の山。

「これ、いくらになるんだ……」

思わず辺りを見渡す。

虫の声、木の軋む音。人の気配はまったくない。

怖さよりも、先に湧いてきたのは“安心”だった。

ここには誰もいない。

誰も見ていない。

カバンを閉め、車へと戻る。

現金が敷き詰められたスーツケースは想像以上に重い。

ズリズリと引きずりながら来た道を戻った。

車に着くと、すぐにトランクに詰め込み、ドアを閉める。

心臓がまだ速く打っている。

エンジンをかけ、闇の道を抜けて走り出した。

しばらく走ると、少しだけ冷静さを取り戻した。

「……これ、どうする?」

ハンドルを握る手のひらが、汗でじっとりと濡れていた。

第5話 「掘り出す」

目的地の近くに到着した。

ここから先は車では行けない。

徒歩で山道を進むしかなかった。

あたりはもう真っ暗だ。

車のライトを消すと、闇が一気に押し寄せてくる。

虫の鳴き声と、木々が風で擦れる音。

それ以外は何も聞こえない。

こんな場所に車を停めているだけで、自殺志願者に見られそうだ。

正直、怖かった。

熊だって出るかもしれないし、変な奴らに出くわすかもしれない。

いや、もしかすると──幽霊だって。

考えれば考えるほど足がすくむ。

けれど、ここまで来て引き返すのも嫌だった。

地図を見る限り、目的地までは徒歩20分。

「早歩きなら15分で着くか……」

そう自分に言い聞かせ、スマホのライトを点けて歩き始めた。

乾いた枝を踏むたび、音が山に響いた。

木々の影が動くたびに、誰かが後ろを歩いているような錯覚に襲われる。

息が荒くなり、心臓の鼓動が耳の奥で響いた。

やがて、地図の位置とスマホのマップが重なった。

「……ここだ。」

見渡しても、ただの斜面と雑草しかない。

何かの目印があるわけでもない。

とりあえず、落ちていた太い枝を拾い、地面を掘り返してみる。

ザクッ、ザクッ──湿った土の感触が伝わる。

それでも、何も出てこない。

もうやめようかと思った、その時だった。

ゴンッ。

硬い何かに当たった。

思わず息を止め、手で土をかき分ける。

土の中から、錆びた金具が見えた。

さらに掘ると、金属の取っ手が現れた。

「……スーツケース?」

両手で引きずり出すと、全身が土まみれになった。

時計を見ると、掘り始めてからもう一時間が経っていた。

スーツケースほどの大きさの鞄。

鍵穴が一つ、銀色に光っていた。

第4話 「途中」

目的地に向かい、車を走らせる。

まだ半分も来ていないが、早くも少し疲れてきた。

眠気を誤魔化すようにラジオをつけても、知らない曲が流れてくるだけだ。

「……腹でも満たすか。」

そう呟き、ドライブスルーのあるハンバーガー屋に入った。

セットを買い、少し先のコンビニ駐車場に車を停める。

ポテトをつまみながら、ぼんやり考えた。

親は裕福ではなかった。

贅沢もせず、いつも同じような生活。

けれど、食べるものに困ることもなく──“普通”という言葉が一番しっくりくる家庭だった。

年に数回の家族旅行を思い出す。

海や温泉、道中で聴いたラジオ。

小さな車に荷物を詰めて、くだらない話をして笑っていた。

あの頃は、確かに楽しかった。

「もしかして、宝って……家族の思い出ってことか?」

思わず口にして、自分で苦笑いする。

だったら、こんな場所に隠す必要なんてない。

ハンバーガーを食べ終え、エンジンをかける。

少し走ると、パチンコ屋のネオンが目に入った。

なぜか“今日は勝てる気がする”という根拠のない予感がした。

気づけば駐車場に車を入れていた。

結果は、出たり飲まれたりの繰り返し。

結局、二万円の負け。

「やっぱりな……」

小さくつぶやき、レシートの裏で汗を拭う。

外に出ると、空はすっかり暗くなっていた。

街灯が少ない田舎道、フロントガラスに映る自分の顔が少し疲れて見えた。

「こんな暗い中、行くのか……」

一瞬、引き返そうかと思った。

だが、ここまで来て戻るのも癪だった。

ナビを再設定し、アクセルを踏む。

目的地までは、あと40分。

ヘッドライトが照らす細い道の先に、黒い森の影が見えていた。

第3話 「昼前」

目が覚めると、すでに昼前だった。

カーテンの隙間から差し込む光が、部屋のほこりを照らしている。

昨日の夜は妙に寝つけなかった。

あの地図の赤い印が、何度も頭に浮かんできて──気づけば朝になっていた。

「腹減ったな……」

寝ぼけたまま、台所でカップラーメンにお湯を注ぐ。

すすりながらスマホを眺め、特に興味もないニュースを流し読みする。

“値上げ”“炎上”“事故”。

同じような文字が流れていく。

何も感じなくなっている自分に気づき、少し笑えた。

食べ終わったあとも、まだ何か物足りない気がして、パンを取り出した。

食パンを手に取り、ぼんやりとかじる。

その瞬間──ふと、視界の端に妙な形が映った。

「……地図、みたいだな。」

パンのかじった跡が、まるで昨日見つけた地図の形に見えた。

偶然だろう。

だが、あまりにもタイミングが良すぎた。

テーブルの上にパンを置き、昨日の箱を引っ張り出す。

中の地図を広げて、パンの形と見比べてみる。

当然、一致するはずもない。

でもなぜか、心臓が少しだけ早くなっていた。

「……行ってみるか。」

自分でも、なぜそう思ったのか分からない。

ただ、あの赤い印をこのまま放っておくと、ずっと気になり続ける気がした。

マップアプリをもう一度開く。

車で2時間、そこから少し山に入るルート。

「ま、天気も悪くないし……ドライブがてら、な。」

小さく呟き、車の鍵を手に取った。

その瞬間、どこからか“カチッ”という音がした。

振り向くと、机の上に置いたあの銀色の鍵が、わずかに転がっていた。

まるで、出発を促すかのように。

第2話 「地図」

箱の中には、銀色の鍵ともう一枚、折り畳まれた紙が入っていた。

広げてみると、手描きのような地図だった。

赤い線でぐるぐると囲まれた印があり、その下には読めないほどかすれた文字。

「……まさか、宝の地図とか?」

思わず笑ってしまった。

明確な地名は書かれていない。

だが、高速道路らしき線が交差している部分を見ると、ここから車で二時間ほどの山の中のように思える。

それにしても、どうしてこんなものが?

自分の過去の記憶を探っても、こんな地図に心当たりはない。

しばらく考え込んでいると、ふと一つの記憶が浮かんだ。

──親が亡くなったとき、遺品と一緒に渡された段ボール箱。

書類や古い通帳が入っていて、重いからとりあえず押し入れにしまった。

その中に、確かこの箱もあったような気がする。

「ってことは、親のものか……?」

思わず呟き、もう一度地図を見つめる。

宝物が本当にあるのかは分からない。

だが、妙に気になって仕方がなかった。

明日は休み。やることもない。

「……ちょっと見に行ってみるか。」

そう呟いて、スマホのマップアプリを開いた。

地図の形を照らし合わせると、場所は確かに山の中。

車で近くまで行っても、最後は歩く必要がありそうだった。

2時間の運転に加え、山道を30分ほど歩く。

考えただけで面倒くさくなってきた。

「いや、やっぱりやめよう。」

地図を畳み、再び箱に戻した。

ただ、その夜。

布団に入っても、頭の片隅で赤い印がちらついて離れなかった。

まるで呼ばれているような、不思議な感覚だった。

第1話 「同じ朝」

俺はどこにでもいるサラリーマン。

毎日同じ電車に乗り、毎日同じ職場で同じ顔に挨拶。

昨日も今日も、きっと明日も変わらない。

子供の頃は毎日が楽しかったのに、いつからこんな生活になったのだろう。

まだ人生は50年くらいあるだろうか。

半分が過ぎた今、残りを考えると気が遠くなる。

お金があるわけでもないし、妻や子供がいるわけでもない。

友達もいない。

定年後、何をして過ごせばいいのか──考えるだけで胸が重くなる。

明日は久しぶりの休み。

特に予定もない。

せめて部屋の不用品でも片付けよう。

そう決めて、コンビニ弁当を食べ、テレビを眺めながら眠りに落ちた。

翌朝、遅い朝日がカーテン越しに差し込む。

目を覚ましても、起き上がる気力が湧かない。

しばらくぼんやり天井を見つめた後、ようやく体を起こす。

「捨てるか……」

呟いて、重い腰を上げた。

押し入れの奥や引き出しの中。

何年も触っていないものが山ほど出てくる。

もう使わないケーブル、壊れた時計、古い封筒。

それを一つひとつ分けながら、無意識に手が止まった。

引き出しの一番奥、何かの影が見えた。

指先で掴んで引き出すと、薄い黒い箱が出てきた。

見覚えがない。

「こんなの、あったか……?」

手のひらに収まるほどの小さな箱。

埃を払い、ゆっくりと蓋を開ける。

中には──銀色の鍵が一つ、入っていた。

どこの鍵なのか分からない。

ただ、妙に冷たくて、重く感じた。

胸の奥で何かがざわついた。

心当たりのない“鍵”を見つけた瞬間、部屋の空気が少しだけ変わった気がした。

【第六話】 終焉のグラフ

店長の言葉が耳の奥で何度も反響していた。

「探している」──その一言が心臓を握り潰すように響く。

俺は恐怖を隠すように帽子を深くかぶり、顔を伏せて店を後にした。

外の風が妙に冷たく感じた。

駅まで早足で歩き、何本か見送ったあと、ちょうど来た電車に飛び乗る。

車内では落ち着かず、つい周りを見回してしまう。

逆に怪しまれるかもしれないと思って、じっと前を見つめる。

だが、やっぱり視線が気になってキョロキョロしてしまう。

――明らかに挙動不審だった。

それでも何とか家に着いた。

鍵を二重にかけ、窓の施錠も確認する。

もうしばらく外には出ない──そう心に決めた。

何事もなく二日が過ぎた。

緊張のせいで食欲もなく、口にしたのは水だけだった。

三日目の朝、ようやく空腹に耐えかねてデリバリーを頼むことにした。

インターホンが鳴り、モニターを見た瞬間、心臓が止まった。

──奴らだった。

扉を開けた途端、強引に押し込まれ、ナイフの銀色が光る。

「やっと見つけたよ」

あの時と同じ声。だが、今度は笑っていなかった。

「俺らを舐めたことを後悔させてやる」

冷たい言葉が耳に突き刺さる。

俺は必死に説得した。「もう一度教える、一緒にやろう」と。

だが、奴らの目はもう人間のそれではなかった。

俺は観念した。

時間が止まるような感覚の中で、人生を振り返る。

スロットに出会わなければ――

あんなグラフの癖なんて、見つけなければ――

最後に頭をよぎったのは、いつも見ていた出玉グラフだった。

右肩上がりのその線は、まるで俺の運命そのもののように、

頂点から真っ逆さまに落ちていった。

【第五話】 見えない追跡者

引っ越してからしばらく、俺はホールに足を踏み入れなかった。

視線に晒されるような過去の記憶が胸の奥をざわつかせる。店の明かりを見るたび、あの二人の顔がちらついた。

一週間が過ぎ、試しに一度だけと打ってみた。

得意なAタイプのパターンに沿って打つと、台はいつものように応えた。まだ使える。少額を積み重ね、派手な勝ちを避けながらホールを散らすように立ち回る。目立たないことを最優先に、日常が戻る感覚に少し安堵した。

だが、心のどこかで昔の街とあの二人のことが気になり始める。俺は変装をして、確かめに行くことにした。店長に密告したのだから、出入り禁止になっているはずだ。もしかすると、もうこの街にはいないかもしれない。

恐る恐る懐かしいホールの入口を覗くと、外見は何も変わっていなかった。中にも特に不審な様子はない。ほっとしていると、背後から声がした。あの時、写真を見せた店長だ。俺が変装を解く前に気づき、驚いた顔で近づくと、急に腕を掴まれ裏手へと引かれた。

裏に入ると店長は静かに言った。

「生きててくれて良かった。」

理由を問うと、店長の表情が固くなった。密告した二人は日本人ではなく、裏社会の有力者と繋がっていたらしい。出入り禁止にしたものの、特に咎められることもなく店側は抑えられている。しかも――

「お前を相当恨んで、今も探しているよ」と店長は低く囁いた。

その言葉が胸に沈み、背筋が凍る。

灯りの奥で、ホールのざわめきが遠く聞こえた。

俺は初めて、逃げた先にも追跡者の影が伸びていることを知った。

【第四話】 別れの予感

俺たちは、いつのまにか「仲間」と呼ばれる関係になっていた。

一緒にホールを回り、同じグラフを見て台を選ぶ。だが、勝った金はそれぞれのもの。そこにルールはない。

問題はすぐに起きた。

同じパターンを追う以上、狙う台がかぶる。先に座った者が勝ち、遅れた者はただ見ているだけ。

そのうち、互いに牽制し合うようになり、台の取り合いが始まった。肩をぶつけ、罵声が飛び、ついには店員が止めに入ることもあった。

「なんでそんなにこの台にこだわるんですか?」

店員の目が、少しずつ俺たちに向けられ始める。

数時間後、その“揉めた台”が爆発的に出すのだから、無理もなかった。

あの二人は気づいていないようだったが、店員の視線は日に日に鋭くなっていた。

俺は悟った。

――もう長くは続かない。

この街から離れよう。そう決めたのは、ほんの気まぐれだったのかもしれない。

だが、どこかで終わりを感じていたのは確かだった。

引っ越しの前日、俺は最後に近所のホールへ向かった。

そして、フロントで店長を呼び出し、スマホの画面を見せた。

そこには、例の二人が出玉を積み上げ、笑っている写真が並んでいた。

「自分も一時期は一緒にいましたが、もう引っ越します。

 二度とこの辺りでは打ちません。」

店長は眉をひそめ、そして静かに頷いた。

「ありがとう、助かります。」

その言葉を聞いたとき、胸の奥が妙に軽くなった。

夜風が顔を撫でる。ネオンの光が遠ざかっていく。

俺は誰にも知られず、街を後にした。

――また、ゼロから始めればいい。

そう思いながら、背後のホールが小さく消えていくのを見つめていた。