【第五話】 見えない追跡者

引っ越してからしばらく、俺はホールに足を踏み入れなかった。

視線に晒されるような過去の記憶が胸の奥をざわつかせる。店の明かりを見るたび、あの二人の顔がちらついた。

一週間が過ぎ、試しに一度だけと打ってみた。

得意なAタイプのパターンに沿って打つと、台はいつものように応えた。まだ使える。少額を積み重ね、派手な勝ちを避けながらホールを散らすように立ち回る。目立たないことを最優先に、日常が戻る感覚に少し安堵した。

だが、心のどこかで昔の街とあの二人のことが気になり始める。俺は変装をして、確かめに行くことにした。店長に密告したのだから、出入り禁止になっているはずだ。もしかすると、もうこの街にはいないかもしれない。

恐る恐る懐かしいホールの入口を覗くと、外見は何も変わっていなかった。中にも特に不審な様子はない。ほっとしていると、背後から声がした。あの時、写真を見せた店長だ。俺が変装を解く前に気づき、驚いた顔で近づくと、急に腕を掴まれ裏手へと引かれた。

裏に入ると店長は静かに言った。

「生きててくれて良かった。」

理由を問うと、店長の表情が固くなった。密告した二人は日本人ではなく、裏社会の有力者と繋がっていたらしい。出入り禁止にしたものの、特に咎められることもなく店側は抑えられている。しかも――

「お前を相当恨んで、今も探しているよ」と店長は低く囁いた。

その言葉が胸に沈み、背筋が凍る。

灯りの奥で、ホールのざわめきが遠く聞こえた。

俺は初めて、逃げた先にも追跡者の影が伸びていることを知った。

【第四話】 別れの予感

俺たちは、いつのまにか「仲間」と呼ばれる関係になっていた。

一緒にホールを回り、同じグラフを見て台を選ぶ。だが、勝った金はそれぞれのもの。そこにルールはない。

問題はすぐに起きた。

同じパターンを追う以上、狙う台がかぶる。先に座った者が勝ち、遅れた者はただ見ているだけ。

そのうち、互いに牽制し合うようになり、台の取り合いが始まった。肩をぶつけ、罵声が飛び、ついには店員が止めに入ることもあった。

「なんでそんなにこの台にこだわるんですか?」

店員の目が、少しずつ俺たちに向けられ始める。

数時間後、その“揉めた台”が爆発的に出すのだから、無理もなかった。

あの二人は気づいていないようだったが、店員の視線は日に日に鋭くなっていた。

俺は悟った。

――もう長くは続かない。

この街から離れよう。そう決めたのは、ほんの気まぐれだったのかもしれない。

だが、どこかで終わりを感じていたのは確かだった。

引っ越しの前日、俺は最後に近所のホールへ向かった。

そして、フロントで店長を呼び出し、スマホの画面を見せた。

そこには、例の二人が出玉を積み上げ、笑っている写真が並んでいた。

「自分も一時期は一緒にいましたが、もう引っ越します。

 二度とこの辺りでは打ちません。」

店長は眉をひそめ、そして静かに頷いた。

「ありがとう、助かります。」

その言葉を聞いたとき、胸の奥が妙に軽くなった。

夜風が顔を撫でる。ネオンの光が遠ざかっていく。

俺は誰にも知られず、街を後にした。

――また、ゼロから始めればいい。

そう思いながら、背後のホールが小さく消えていくのを見つめていた。

【第三話】 囁きと脅し

俺は出玉グラフを見て打つ。それだけだ。

朝から並ぶこともなく、他の“プロ気取り”と揉めることもない。

複数の店を回るから、店員からも目をつけられない。 

――このままずっといける。そう思っていた。

その日は順調だった。

夕方、パターン通りの台を見つけ、下皿が満タンになった。

トイレに立ち入ると広いトイレなのに、わざわざ右隣に来た男が声をかけてきた。

「なぁ、お前、なんでそんなに勝てるんだ?」

無視した。だが、次の瞬間、左隣にも別の男が立っていた。

二人は互いに目を合わせ、まるで打ち合わせでもしていたかのように続ける。

「どの店でも勝ってるよな。何年も。偶然じゃねぇだろ?」

「教えろよ、俺たちにも勝ち方をさ。」

心臓が強く鳴った。

こいつら……俺を見ていたのか。

脅しの言葉も混じっていた。「断るなら、お前のこと全部バラすぞ。」

逃げるわけにもいかない。

ここで敵を作るのは得策じゃない。

俺は、簡単に見える“表向きの理屈”だけを教えた。

「Aタイプ限定。波の形を読むんだ。出方を見ればわかる。」

二人は興味深そうに聞き、納得したように笑った。

「へぇ、なるほどな。じゃあ、今度一緒に打とうぜ。」

それから数日、俺たちは行動を共にした。

最初は奇妙な連帯感さえあった。

情報を共有し、台を譲り合う。

だが――俺の勝率が少しでも落ちた時、二人の目の色が変わるのを、俺は見逃さなかった。

光の下で笑う彼らの顔に、何か冷たい影が差していた。

そのとき初めて、俺は思った。

――仲間、なんて言葉は、この世界には存在しないのかもしれない。

【第二話】 崩れゆくリズム

それからの俺は、勝利を積み重ねた。

朝からホールに入り、昼過ぎには勝ちを確定させて帰る。収支ノートの数字は右肩上がり。気づけば月二十万の安定収入。大学へ行く意味を感じなくなり、講義よりもホールの空気の方が心地よかった。 

光と音、メダルの流れる音。

周りの客の表情が、もう俺には他人事に思えた。俺だけが波を読める。俺だけが、この世界の“裏側”を知っている。そう信じて疑わなかった。

だが、その頃から少しずつ歯車が狂い始めていた。

朝の目覚めが遅くなり、食欲がなくなった。勝っても嬉しくない日が増え、負けると異様に苛立った。金は増えているのに、何かが削れていく。

ホールの照明がまぶしすぎて、夜の街が妙に暗く見えた。

コンビニの店員が笑顔で「お疲れ様です」と言っても、俺は返せなかった。

「俺は勝っている。だから大丈夫」

そう言い聞かせるたび、心のどこかで小さな音がひび割れる。

気づけば、グラフの波にしか心が動かない。

スロットはもう“遊び”でも“仕事”でもなかった。

それは、俺を飲み込む“呼吸”のようなものになっていた。

息を吸うように打ち、吐くように金を賭ける――。

この日々が崩れるなんて、その時の俺はまだ知らなかった。

スロット人生【第一話】 静かな勝者

俺はスロットで金を稼ぎ、生きている。

華やかとは程遠いが、食うには困らない。月に二十万ほど稼ぎ、そこから生活費を引き、残った金でまたホールへ向かう。そんな生活が、ここ数年続いている。

同世代の連中は会社で働き、上司の愚痴や昇進の話で盛り上がっている。だが俺には、そんな話が退屈で仕方なかった。気づけば飲みの誘いも減り、連絡も途絶えた。孤独? いや、むしろ快適だ。人付き合いなんて、勝ち負けの世界では意味を持たない。

大学時代、友人に誘われて初めてスロットを打った。負けたのに、不思議と面白かった。あの時の光と音の洪水、心臓が高鳴る感覚。それ以来、俺はどっぷりとスロットに沈んでいった。

最初は遊びだった。だが、金が尽きると遊びでは済まなくなった。どうすれば勝てるのか。俺はグラフを何千と眺め、傾向を探した。勝つ台には、ある“形”がある。連チャンの波、ハマりの深さ、出方のタイミング――。そしてある日、気づいたんだ。八割の確率で勝てるパターンを。

次の日、試してみた。狙い通り、出た。翌日も出た。まるで未来を読んでいるような感覚。電飾の光が、祝福のように瞬いて見えた。

その時、俺はもう引き返せなかった。

第六話:選択 — 便利さを脱ぐ決意

戦争は終わった。地球は救われたが、勝利感は重く錆びついていた。太陽の民の通告は、鏡のように我々の生活を映し出す。俺は便利な生活が、どれだけ自分を鈍らせていたかを思い知る。答えは見つからない。だが小さな一歩は自分の変化から始まる。俺は即座にオフラインの時間を増やし、記憶の複製に頼らない一日を選んだ。古びた自転車で風を受け、燃える太陽をただ見る時間。便利さを脱ぐことは苦いが、皮膚で感じる世界は確かに戻ってくる。未来を変える大きな解は出ないが、個々が変われば星も変わるかもしれない──と、俺は信じてみる。

第五話:通告 — 最後の猶予

太陽の民の代表は、我々に最後のチャンスを与えると言った。地球が欲と権力に汚れるなら、次に滅ぼす星と見なす──その言葉は祝福と罰の両方を含んでいた。やがて判明する衝撃の事実。最初に襲ってきた敵は、単純な破壊者ではなく「汚れた星を滅ぼして再建する」目的で来ていたという。彼らなりの倫理があり、我々の文明の堕落を正すための行為だったらしい。戦いの正当性を疑う言葉が、仲間の会話に忍び込む。正義のラベルは薄く、俺たちの「守るべきもの」が本当に価値あるのか、世界が問い直される瞬間だった。

第四話:太陽の民 — 火の援軍

臨界点で、空が赤く割れた。太陽の民が来た──という通信がまず届いたとき、誰も本気にしなかった。だが彼らは予想を遥かに超えた存在だった。火を操り、放たれた炎は味方の前線を瞬時に掃討する。機動力は常識外れで、敵の増援は次々と焼き尽くされた。俺はロボットの視界を通して、燃え盛る援護のダンスを見た。煙と電磁ノイズが溶け合い、初めて「助かった」と思った瞬間が来た。だが救援は完璧ではない。太陽の民は我々を救ったあと、冷たく言い放った。それは祝辞ではなく通告だった。

第三話:消耗 — 劣勢の足音

戦況はじわじわと傾いた。疲労は誤魔化せない。反応が一拍遅れ、射線の読み違いが増える。連携していた隊の無線は途切れがちだ。仲間の一人が味気ない調子で「もう無理かもな」と呟いた時、それが冗談でないことを全員が感じた。ロボットの残存数も目に見えて減る。修復が追いつかず、補給の間隔が伸びる。遠隔で戦う利点は身体の安全だけだが、精神の耐久は持たない。俺は何度も自己診断を走らせ、意識の異常を否定したが、それでも視界は歪む。勝敗が決まれば人類の扱いは不明だという現実が、薄くない影となって横たわる。敗北の可能性は、口に出すには重すぎた。

第二話:交換 — 壊れても、次の機体へ

砲煙の中で、俺は機体を失っても即座に「次」へ移る訓練を受けていた。意識の移植は素早く、昔ハマったゲームで培った指の感覚が思いの外役に立つ。敵の波を次々と捌き、ロボットを撃破していく自分に、かつての夜更かしが笑う。だが敵は無限に湧く様に見える。壊しても壊しても増える影。遠隔だとしても、操作の疲労は実体験に等しい。視界に映る同僚の残像、無線越しの息遣い、旋回のたびにくる微かな吐き気─戦闘は身体の深部を削っていく。次の機体に飛び移るたび、現実と虚像の境界が薄れる。勝利の数だけ、何かを失っている気がした。