第13話 灰の中の現実

家に近づくにつれて、胸の奥で小さく震えるものがあった。タクシーの窓の向こう、いつも見慣れた街並みが妙に薄暗く、どこかよそよそしい。サイレンの名残のような焦げた匂いが、風に乗って鼻を突いた。その瞬間、背筋を氷の指でなぞられたような感覚が走った。

角を曲がる。

視界が、いっきに開けた。

そこにあるはずの自分の家——いや、“あった”はずの家は、黒い輪郭すら見せず、ただ灰の平野のように崩れ落ちていた。鉄骨だけがむき出しになり、ねじ曲がって空に向けて助けを求めているように立っている。足が止まり、そのまま前に踏み出すことができなくなった。

焼けた土の上を踏むと、バキッと何かが砕ける乾いた音がした。瓦礫なのか、かつて家具だった何かの残骸なのかも分からない。消防隊の残した黄色いテープが虚しく揺れ、まるで「もう戻る場所はない」と告げているようだった。

喉がひどく渇いて、呼吸をするたびに胸がざらついた。

預けておいたはずの現金——未来だと思っていた金額。

安心感そのものだった束。

人生を変えた、あの重み。

すべて、燃えた。

現実を理解しようとしても、脳が拒否する。視界の端がじわじわと暗くなり、耳鳴りが鼓動と一緒に膨らんでくる。手が震え、自分の体なのに思うように動かせない。あの紙の束が、炎に包まれて黒く巻き上がり、空に溶けていくイメージが繰り返し脳内に現れては消えた。

「なんで…なんでだよ…」

声にならない声が喉から漏れた。

隣の家の火事——ただそれだけの、不運と言われればそれまでの出来事。それに、すべてを奪われた。どこにも怒りをぶつける場所がない。自分の中に渦を巻く怒りと悲しみが混ざり合って、濁流のように胸の奥で暴れている。

焼け跡から漂う煤の匂いが、まだ火が残っているかのように鼻を刺した。立っているだけで、世界が揺れているようだった。

足元がふらつき、膝が崩れそうになる。

ここにあったもの。

ここで送っていたはずの未来。

そのすべてが、ひと晩で灰になった。

そしてようやく、自分は呟いた。

「……終わったんだな」

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