第8話 「試しの一万円」

使うならやはり——パチンコ屋だろう。

そう思い立って、昼過ぎに車を出した。

鞄の中の札束を見つめると、妙な緊張が走る。

一枚取り出してポケットに入れると、手の中でその感触がやけに重く感じられた。

店内はいつも通りの喧騒。ジャラジャラという音が鳴り響き、タバコの匂いが漂っている。

普段ならなんでもないこの光景が、今日はどこか現実味を失って見えた。

台に一万円札を入れる。

すんなりと吸い込まれ、玉が出てくる。

「……使える」

思わず口に出ていた。

心臓の鼓動が早くなる。

周りを見渡すと、誰もこちらを気にしていない。

防犯カメラの位置を確認し、店員の視線を追う。

どこにも“異変”はない。

勝ったり負けたりを繰り返し、結局すべて飲まれた。

だが、今日は悔しさよりも安堵が勝った。

これが本物の金なら——まだいくらでもある。

そう思うと、今まで感じたことのない余裕が心を満たした。

次はコンビニだ。

コーヒーと雑誌を買う。問題なく使えた。

飲食店でも、ネット通販の代引きでも同じ。

どこで出しても、誰も怪しまない。

まるでこの金が“最初からこの世に存在していた”かのようだった。

帰り道、渋滞にはまった。

いつもならハンドルを叩いて苛立つところだが、今日は違う。

窓の外を眺めながら、信号に照らされた夜の街をぼんやり見つめる。

「まあ、急ぐ理由もないしな」

自然と口から出た言葉に、自分でも驚いた。

家に帰る前に少し贅沢をしようと思った。

ふと目に入ったのは、いつも素通りしていた少し高めの回転寿司屋。

「今日はいいか」

そう呟いて車を止めた。

ガラス越しに見える店内の灯りが、なぜか妙に温かく感じられた。

この金がどこから来たのか、今はどうでもいい。

ただ、今日の俺は——確かに“自由”を感じていた。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA