なぜこんな状況になっているのか──その答えを掴めずにいると、ふいに足音が近づいてきた。
誰かがこちらへ向かってくる気配がする。
「まずい」
理由もなくそう思った。
次の瞬間、体が勝手に動いた。
俺は反射的に走り出していた。
どこへ行くという目的もない。ただその場から離れたい一心で、無我夢中に足を動かす。
──速い。
自分でも驚くほどのスピードだった。
いつもの自分の体では絶対に出せない速さ。
まるで風を切るように、地面を蹴った瞬間に視界がすっと伸びる。
脇道に入り、塀が行く手を塞ぐ。
普通なら止まるところだが、足が止まらない。
むしろ飛び越えようとする本能のような衝動が湧き上がる。
「……行ける?」
そう思った瞬間、体は軽々と塀を飛び越えていた。
着地も驚くほど滑らかで、まるで長年そうしてきたかのように体が馴染んでいた。
さらに深い茂みへと潜り込み、枝葉のしなる音に身を沈める。
心臓が速く鼓動しているが、息が切れない。
不思議と疲労感がない。
そこでようやく足を止め、頭の中を整理しようとした。
──何なんだ、俺は。
飛び越える。
走る。
隠れる。
すべてが“人間”の動きではなかった。
本能が命令しているような、もっと小さくて俊敏な生き物の動き。
「俺……猫か?」
ぽつりと漏れた言葉に、思わず自分で苦笑いしそうになるが、笑えなかった。
倒れている自分の体。
ここにいる俺。
異常な運動能力。
そして、助けようとした猫。
偶然なのか必然なのか。
答えはまだわからない。
けれど少なくとも、俺は“元の俺”ではない。
その現実だけは、茂みの中でひっそりと息を潜めながら、嫌でも理解し始めていた。
