第10話 「満ちる日々」

部屋が変わると気持ちが変わる——その言葉の意味を、ようやく理解した気がした。
明るくなった部屋、整った家具、観葉植物の緑。
朝、コーヒーを淹れるだけで一日が少し特別に感じられる。
何もかもが以前より少し優しく見えた。

気持ちが変われば、行動も変わる。
車の運転中は道を譲るようになり、電車では自然と席を譲った。
人の悪口を聞くのも嫌になった。
何かに腹を立てることが減り、周囲からは「穏やかになった」と言われる。
——お金に余裕があると、人間まで大きくなれるのかもしれない。

そんな穏やかな日々が、数年続いた。
気づけば、スーツケースの中にはまだ山のように現金が残っていた。
このままでは使い切ることなく人生が終わってしまう。
そう思うと、妙な焦りと同時に高揚感が湧いた。

「もっと、人生を使おう」

その言葉が背中を押し、会社を辞める決意をした。
翌週には航空券を予約。
最初の目的地はハワイだった。

潮風が肌に触れ、眩しい太陽が照りつける。
海辺のカフェでコーヒーを飲みながら、ふと笑ってしまった。
「俺、自由だな」

それからヨーロッパ、東南アジア、オーストラリアと旅を続けた。
帰る日程は決めず、行きたいところへ気ままに移動。
宿や食事、買い物はすべて現金払い。
ただし、持ち歩くのは“必要な分だけ”。
残りは日本の家に厳重に保管してきた。

それでも、見知らぬ土地では常に気を張っていた。
スリや強盗の噂を耳にするたび、ポケットの財布を無意識に押さえてしまう。

だが、そんな小さな緊張すら心地よかった。
金と自由を手に入れ、俺はようやく「生きている」と感じていた。

——その幸福が、永遠に続くと信じていた。

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