まとまりのなさ

自分の意見や考えを言う時に綺麗に話すことが出来る人がいるがどんな頭の構造をしているのだろう

自分は綺麗に話すことが出来ずまた自分の考えを聞かれてもぼやっとしている

何も考えていない証拠なのかうまく伝えることが出来ない

いい年してそんなことだから出世も出来ないし何事もうまくいかない

頭の構造でないとするなら思い当たるところといえば忘れっぽいというところといい加減と言うところか

本を読むと話が下手な人もそう思っているだけでそんなことはない

慣れれば誰でも出来ると書いてある

それが本当であるならば慣れが足りないのかもしれない

確かに人前で話す機会は今までの人生でも少なかった様な気がする

どうすれば解決できるのだろうか

丁度明日も発表があるが資料を作成しても何が伝えたいかわからない、そもそもこの会の意味を考えると…そんなことを言われよくわからなくなってしまう

ただよくわからない資料であっても面白いと言ってくれる人もおり、荒削りさや少し視点が違うところが新鮮にうつるのかもしれない

忖度が得意な人が周りに多い中で忖度しない自分の資料は独特でもあり、自分の道を進んでいる様に見えるのだろうか

ただ立派な資料で無いことは自分が1番よくわかっている

この文章もまたまとまりがなくなっていることはわかっていながらダラダラと書いてしまった

書き続けるといつかは作家さんみたいな文章をかけるようになると信じて明日も書こうと思う

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